2023年7月
この日のおおまかな予定
ホテル
↓
駅
↓電車
↓
ホテルにスーツケースを置く
↓
フェリー(ヴァポレット)乗り場
↓ヴァポレット
↓
↓
休憩・昼食
↓
ホテル
いよいよ今日は、水の都ベネチアへ向かう
2001年の夏、ヴェローナまでは来たが、ベネチアには行かなかった。
今思えばバカなことだが
その頃は観光よりカルチョを見る方が大事だったのだ。
スケジュールも弾丸で、ミラノとブレシャとヴェローナしか行かなかった。
なんてもったいない。
そのため今回だけはどうしてもヴェネツィアを肉眼で目にしたかったのだ。
ホテルを早朝に出る
ホテル税を払う。2人で8ユーロ、現金オンリー。
フロントでBreakfast boxを頼んでたけどと言ったらすぐに作ってくれた。
とは言っても紙袋に紙パックのジュースとパンとクラッカーと各種のジャムを詰めたもの。
ミラノ・チェントラーレ駅でとにかくコーヒーを買おうと並ぶ
ベネツィア行きのフレッチャロッサで約2時間半かかる予定だった。
チケットは事前にネットで購入。便利な世の中です。指定席で一人、36.9ユーロ
ここで同行者の挙動が怪しくなる。
スーツケースが開かない!と言うのだ。
どうやら、宿でスーツケースを閉める時、同行者が無意識に解錠番号を変えてしまったのだった
スーツケースが開かない→すべてが終わる
スーツケースは毎回我々のトラウマなのだ。
前回ミュンヘンでテロに巻き込まれロスバゲのまま1週間過ごした経験がある。
悪夢再び!とあせった同行者はスマホでリモワの店を調べる。
ベネチアのリアルト橋あたりにリモワの店があるからそこで修理を頼むと言う。
しかしそんなことになったらベネチアの観光時間が少なくなってしまう
手動で開けようと電車の中で奮闘した
何度かTRYしついにスーツケースは開いた。
歓喜。
この時ほどうれしかったことはない
そうこうしているうちにベネチアに列車は近づくが
途中で止まってしまった
イタリアあるあるなのか
電車は45分ぐらい余裕で遅れてベネチアのサンタルチア駅に着いた。
このへんからはもう驚きの光景しかなかった!
そのまま中世の頃の街並みが残っていて
それがまんま海の上に浮かんでいるのだ。
出てきた言葉は異口同音に
「ディズニー・シー!!」
悲しいことですが…すみません
まさにディズニー・シーを巨大にした感じなのだw
ホテルに徒歩で行ける距離でありがたかった。
スーツケースを持ってヴァポレットに乗りたくない。
スーツケースを奥におかせてもらい、観光に向かう。
スーツケース置き場は奥にあるのだが、ロビーも団体客のスーツケースだらけなので間違われないよう、置き場所はきちんと確認しましょう。
ヴァポレット売り場には少しだけ行列ができていた
すでにヴァウチャーで購入済みなのでヴァウチャーをチケットに切り替える
ここも今思えば普通にチケットを買ってもよかったかもしれない
すぐに買えたので
ヴァポレットに乗るにはしばらく待たなければならなかった
でも20分以内ぐらいだと思う。
行きはよいよい
帰りの苦労はこんなもんじゃなかった…
Canal Grande
とにかく満員の乗船率で視界は限られていたが
すばらしいカナル・グランデ(大運河)の景色をいちいち驚きながら鑑賞した
海の上に浮かぶ美しい過去の建物群がありえないほどの非日常感を生む
ヴァポレットはリアルト橋をくぐって進んでいく。
ほどなく眼前に圧倒的な美しさをもって登場するカ・フォスカリ(Ca' Foscari) 。この建物は現在はヴェネツィア大学となっているが、1452年、ヴェネツィアのドージェ、フランチェスコ・フォスカリが購入し、1457年、死の直前の7日間だけ住んだという。
1445年、フォスカリの息子ヤコポは、贈収賄と汚職で告発され、ヴェネツィアを追放され、流刑の地で死んだ。息子の死によって1457年10月、フランチェスコ・フォスカリは、十人委員会により辞職させられ、その後すぐ亡くなった。(以上Wikipedia参照)
このエピソードはヴェルディのオペラ「二人のフォスカリ(I due Foscari )」(プレミエ1844年)に使用された。今回の旅でヴェネツィアのドゥカーレ宮殿にこだわったのもオペラで描かれたあの場所を実際見て見たいという大きなモチベーションがあった。
ついにサンマルコ広場が見え
そこで下船する
写真のかみて奥がサン・マルコ寺院、かみて手前がドゥカーレ宮殿。しもて側手前は国立マルチャーナ図書館、しもて奥に鐘楼。
酷暑の中広場に入る。
なんとサンマルコ寺院は工事中で閉鎖されていた
びっくり!
サンマルコ寺院の写真の上方に映っている4頭の馬像は、「サンマルコの馬」(Cavalli di San Marco)のレプリカ。「勝利のクアドリガ」とも呼ばれ、コンスタンティノープルのヒッポドロームを飾っていたが、1204年に十字軍に略奪され持ち帰られたもの。紀元前4世紀の古代ギリシャの彫刻家、リュシッポス(Lysippos)の作品と言われている(諸説あるようです)。
しかし私のお目当てはドゥカーレ宮殿だった
ここの優先入場チケットを買っていた。
すぐに入ることができた
ドゥカーレ宮殿の内部はどこも壁画だらけだった
驚きだった
ここまでとは。
どこの部屋も絵画であふれていてすごい
有名な絵画もある。
順路はまず、2階(?)にあたるヴェネツィア共和国の歴史の解説や歴代ドージェ(総督)の紹介などの展示エリアに進むようになっている。この「Vita da Doge」という展示エリアはなんと二日前に再オープンしたエリアだったのだ。
「Vita da Doge」を経て、絢爛たる「黄金階段」を上って4階に向かう。
四角の広間 Atrio Quadrato
The Square Atrium の天井画。ティントレットの「聖ヒエロニムス(正義)から量りと剣を受け取るジローラモ・プリウリ総督」
4階 4つの扉の間(Sala delle Quattro Porte)
「4つの扉の間」(Sala delle Quattro Porte)は「元老院の間」(Sala del Senato)の前室。
「1575年から、ジョヴァンニ・バッティスタ・カンビオらが、天井の漆喰のモールディング(壁面装飾)と神話の彫刻を彫った。」
「1576年から、ティントレットが、11の寓話的なシーンと2つのルネット(壁面の半円形の部分)を天井にフレスコ画で描いた。フレスコ画の図案は、ヴェネツィアの神話上の誕生、独立、権力、美徳を称賛するために作家のフランチェスコ・サンソヴィーノによって考案された。」(以上SAVE VENICEサイトより)
上記写真の一番奥中央に小さく見える絵画が、ジャンバッティスタ・ティエポロ作「ヴェネツィアに富を捧げるネプチューン」(1745)(Giambattista Tiepolo:Venezia riceve l'omaggio di Nettuno)。この絵画は、18世紀の改修で架け替えられた。
アンドレア・ヴィチェンティーノ作「フランス王アンリ3世をヴェネツィアに迎える総督と総大司教」(16世紀)
ティツィアーノ作「祈りを捧げるグリマーニ総督」は上記の絵画の反対側の壁に飾られていたようだった。
4階 謁見控えの間(Sala dell’Anticollegio)
続く、謁見控えの間(Sala dell’Anticollegio)は一部改修中だった。
右側に一部映っているのが、ヴェロネーゼ「エウロペの略奪」(1578)(Paolo Veronese, Il ratto di Europa)
ドアウェイの左右にあるのが、ティントレットの寓意画4連作のうちの2作品、左側「ヴィーナスとアリアドネとバッカス」(1576)(Jacopo Tintoretto, Wedding of Ariadne and Bacchus)右側「マルスを退けるミネルヴァ」(1576)(Jacopo Tintoretto, Minerva Protecting Peace and Abundance from Mars)。
4階 謁見の間(Sala del Collegio)
絢爛豪華な部屋の奥、正面にある、ヴェロネーゼ作「レパントの海戦の勝利を感謝するヴェニエル総督」
この絵画の反対側の戸口の上には、ティントレット作「聖マルコの助けで聖母子他聖人にまみえるアンドレア・グリッティ総督」(1581)(Andrea Gritti, assistito da S. Marco, dinanzi a Maria e ai Ss. Bernardino, Luigi e Marina)が描かれている。
4階 元老院の間 Sala del Senato
元老院の間も豪華を極めています。時計が2つありますが、部屋が一部改装中でした。
右側の絵画が、パルマ・イル・ジョーヴァネ Palma il giovane 作の「キリストに懇願するパスクアーレ・チコーニャ総督」( Il Doge Pasquale Cicogna supplica Cristo)※パスクアーレ・チコーニャ総督は在位、1585~1595。
左側の絵画が同じく、パルマ・イル・ジョーヴァネの手による「カンブレー同盟に対する勝利の寓話」(Allegoria della vittoria sulla lega di cambrai)。描かれているのは総督レオナルド・ロレダン Leonardo Loredan(在位1501~1521)。
ドゥカーレ宮殿は栄華を極めた海の女王、ヴェネツィア共和国の政治(貴族政)の中心となった建物。その絢爛豪華な部屋のオンパレードに驚きつつ、3階に降りてくると、極めつけの光景を目にすることに。
3階
一番広い大広間に出てくる。ここが大評議の間。正面のドージェや評議員の席とおぼしき壁に張り付いた椅子の上部の壁に描かれた、ティントレットの「天国」はじめ、天井画のヴェロネーゼの「ヴェネツィアの勝利」など数々の絵画で彩られている。
ちなみにスカラ座のアルヴィス・ヘルマニス演出のオペラ「二人のフォスカリ」(2016)では裁きの場面できちんとティントレットの「天国」が背景に描かれています。
続いて、新市民の四十人の裁判官の間(La Sala della Quarantia Civil Nuova)ここには巨大な二頭のライオンの絵画が飾られている。
ライオンが足を掛けている書物には、ヴェネツィア共和国の重要な司法官Avogadori(=検察官)の心得が書かれている。「限りない人間の欲を抑制する法律を適用することにより、隣人に奉仕するよう努めてください。」(Ph. Davide Busetto)
部屋の反対側のもう一頭の獅子の絵画
満足しているとまだまだみどころがある。
ため息橋で有名な
囚人の牢屋などもじっくり見られる
石造りの牢屋は真夏でも涼しい
冬はさぞ寒かったでしょう
ドゥカーレ宮殿見学でめっちゃ気分があがって外へ。
ひとまずリアルト橋方面に向かいながら昼食の店を探す
美しいヨーロッパの街並みが続く迷路のような小道を行くと耐えきれない暑さの中でも優雅にゴンドラが行き交う光景に遭遇する。
ぺスカオール Al Conte Pescaor という有名店?にたどり着く。
同行者のnaviがすばらしい
とてもおいしい店でサービスもよかった。
日本人のカップルが2組もいてびっくりだった
日本人にはついぞ今日は会っていなかったからだ。
この店の看板メニュー?であるペスカトーレとサラダを頼む
59ユーロだった。
ここでチップを払おうとして同行者に怒られる
すでにサービス料で払っているかもしれない。
しかしもう引っ込みがつかない。それに
店の人も、気持ちはうれしいのだが、カードではチップを加えて払うことができないというので
チップだけ現金で払った。
近くにSUSO
という有名店があり、念願のジェラート(4.7ユーロ)にかぶりつく。
ここはけっこうな行列で15分ぐらい待ったかも。
リアルト橋付近はやはり人が多かった。
ホテル方面に帰るため、リアルト橋の傍にあるヴァポレットの停留所で再度チケットを買う。
75分有効のチケットが一人9.5ユーロであった
ここから大変な事態に。
チケットをかざして中に入り、ヴァポレットを待つスペースは2つある。
人がすでに待っている方で待つが、なぜかヴァポレットは後から来て反対側の誰もいないスペースで待っていた人々だけを乗せてしまう
これが何回か繰り返されたまらず観光客が叫び出す
あたしたちはもう1時間半もここでこうして待ってんのよ!
はぎれのよい英語でイギリス人だと思われる中年女性が大声で叫ぶ
同じようにイタリア語で叫ぶ男性も
係員はまったく意に介さず
同じようなことをその後も続ける
2時間近く待たされた上にまったく状況が改善されず待つ客は全員忍耐が切れていた
係員は負けずにクレームに対しては何事か言い返し、自分の非を認めないのだ
怒号が響き、来たヴァポレットに客が殺到する
これがイタリアだ
イタリアだ~~
言いたいことだけ各自が言って、
理不尽なことも解決されないまますべてが進んでいく
これがイタリアだ
とにかくようやく帰り道のヴァポレットに乗れただけでもありがたかったが
これだったら歩いた方が100倍早かった。
ようやく元のサンタルチア駅前の停船所に着いた
もう午後4時ごろなので
ホテルにチェックインのため向かう。
ホテルの受付のお兄さんは一人で電話対応もこなすので、ぐちのような軽口を言いながら対応していた
イタリア人はとにかくおしゃべりなのだ
このお兄さんは英語でもおしゃべりだった
ようやく私たちの番が回ってきて
税金も払い
Breakfast boxも頼めた。
そして無事に部屋に入れた
この部屋がベネチアサイズなのか 新婚用サイズなのか
部屋が狭いうえにダブルベッドだった。
今回の旅で4泊したがきちんとツインだったのはミラノだけであとは2件ともダブルベッドだった。
今回の旅ではベネツィアのこのホテルが一番狭くて全体的クオリティは低かったが、サンタルチア駅に超近いという利点には代えられないだろう。
同行者がスーパーマーケットに行きたいというので
古い迷路のような街並みの中にあるスーパーマーケットへ。
店内では用事もないのにぶらぶらしている人がいて
用心する必要があるなと感じた
スーパーマーケットを二軒回り、たっぷりパスタ類や日用品を土産用に買い込んだ同行者は荷物を置きにホテルに戻るという
ここでホテルに戻ったため暑さでもう私は動けなくなり
同行者はまたサンタルチア駅構内にある別の店にショッピングに出かけて行った
元気ですね~
したがってこの日はスーパーで買ってきた大量の果物をホテルで食べて夕食代わりにした。
明日も早起きしてローマ行きの電車に乗らなくてはいけない。
ローマ1日目 へ続く。